迷信が本当に幸運をもたらすのか?

科学が発展した現代では、迷信の類いは全て嘘だとバッサリ切り捨てる人が多いです。日本では「しゃっくりが100回出ると死ぬ」「霊柩車を見た時は親指を隠す」などの迷信が伝えられています。小さな子どもたちが悪ふざけに使うことはあっても、これらを本気で信じている人はいません。縁起が悪いことであっても、気にせずに生活するのが一般的です。しかし科学的ではないことを切り捨てた生活は、時に幸運を逃してしまうこともあります。

迷信は悪いことを暗示するだけなく、幸運になると信じられていることも多く存在します。例えば学歴成就や交通安全などのお守りです。江戸時代には土や木を持ち歩くと、それに仏のご加護が与えられると考えていました。これがお守りの由来で、現代はご加護を宿した紙や木を袋に入れて持ち歩いています。神や仏を信じない人は、ただの紙切れだと考え大切にはしません。しかし幸運がやって来るかどうかは、迷信の真偽や神仏の有無はほとんど関係ありません。学歴成就のお守りを持った人は、これから勉強を頑張ろうとモチベーションを高めます。そして試験の日も握り締めることで自信をもらえます。交通安全なら、車内の見える場所に飾ることが多いです。運転中に揺れるお守りを見て、スピードを出しすぎないで安全運転に努めます。

袋に入っている物に効果があってもなくても、持ち主の意識が変わるのは間違いありません。意識が変われば行動にも変化が生じ、今までとは異なった結果が訪れます。変わるきっかけが良い迷信ならば、結果は幸運の可能性が高いです。最も科学的な分野である医療の世界には、プラシーボ効果という現象があります。有効成分が入っていない偽薬を薬として患者に飲ませると症状が良くなることで、プラシーボはラテン語の「喜ばせる」が語源です。薬だと言って飲ませればお菓子であっても、薬と同じ作用が期待できます。期待や快楽が脳に刺激を与えて免疫力を高めると科学的には分析されています。プラシーボ効果は医療を超えて多くの人に知られる用語となり、これを利用して仕事や恋愛を上手にこなそうとする人もいます。彼らは古風な迷信は嫌いますが、プラシーボ効果は一定の効果があると考えています。「この薬を飲むと風邪が良くなる」と「お守りを持つと幸運が訪れる」はほとんど違いがありません。本気で信じて前向きに取り組めば、例え嘘であっても期待する現象に出会うことができます。

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